2010 / 12
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以前ある方に自分の置かれている状況を相談したことがある。
10年以上前から思い悩んでいる人間関係のことだった。
その方は私の話を黙って聞いて下さった後に、一言おっしゃった。
「あなたは人格を否定されているんですよ? 分かっていないんですか?」
そう言われても、すぐにはその意味が理解できずにいた。けれど、やや時間をおいてその言葉が、押さえつけて蓋をして、あえて感じないないようにしていた、恐ろしく深い心の傷を見せてくれたのだった。
傷口を見ないこと、
痛みを感じないようにすることだけが、
私が自分を守る術だった。

戦うのは嫌。
傷つけあうのは嫌。

でも逃げていれば自分は傷つけられ痛めつけられるばかり。
自分ばかりか、自分の大切にしている者までもが、傷を負うことに気がついた。
自分の力で守らければ、誰も自分を守ってくれないのだと、
やっと、目を塞いでいた手を外した。

今、私がとっている手段は正しいとは言えないかもしれない。
相手を非難せず、憎まずにいるのは難しい。
自分が傷つくのを恐れて牙をむいている自分が、惨めになる。

どうすれば強くなれるのだろう。
自分自身をも焼き尽くす、浄化の火になりたい。

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お友達のミサブレさんのブログに、気になる言葉が出てきていた。

ご縁があって、湊晶子さん(元東京女子大学学長)の著作「女性を生きる」を読んでいます。(中略)
その中で、「人格」という言葉が出て来ました。湊氏によると、人格という言葉はキリスト教の概念から生まれた言葉だそうです。そして、正しい人格形成は座標軸のある人格形成といえましょう、と述べておられます。人間という言葉は、「人の間、すなわち横の関係を表した表現」であり、人格というと、「人と人との横の関係をまず縦の関係から捉え直したということができる」そうであります。横の関係を横軸、縦の関係を縦軸と考えるなら、「縦軸というのは、天地創造の神と私を結ぶ縦の関係」という事だそうです。そして「人格形成とは縦軸(神と自分との関係)と横軸(人と自分との関係)において形成される自己ということができましょう。」と書いておられます。


縦の糸と横の糸が織り成すものの不思議。
必要な時に、必要なものが差し出される。
この気づきに、感謝を捧げたい。

古い自分の殻を脱ぎ捨てて、どう変容するか。
美しい蝶になるか? 蛹のまま終わるか?
選ぶのは自分自身だ。
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